故藤田さんに関する情報です。 |
昭和54年7月(入社後9年目)の「万博同期会名簿」に 記載されている藤田さんの記事です。 |
8/19 藤田夫人から下記の手紙をいただきました。 ↓↓↓ と同時に、下記の新聞記事の切り抜きをいただきましたので、披露させていただきますね。 商社マンが第二の人生を『農業』に掛けたということでかなりの脚光を浴びたようです。 藤田さんの農業に対する愛情と情熱が熱く語られています。 商社生活とは違う、藤田さんのその後の生活に敬意を表します。 (読んでみて、私には「そのような情熱を傾けるものは何もないな」と思いました・・・。 故藤田さんのご冥福をお祈りします。 合掌 |
「毎日夫人」掲載 「人生は二毛作」 幼少時の「原風景」に帰る 商社マンが鹿嶋で農業に ↓↓↓ 4年間で収入は150万円 |
産経新聞(2001年1月29日) 私の第二の人生 有機野菜と泥まみれの日々 ↓↓↓ |
東京新聞・こちら特捜部(1999年4月18日) 脱サラ農園(藤田ファーム便り) 肩書・高級捨てたら 胃薬・腰痛サヨナラ 昨年(1998年)11月に鍬入れ 10種類以上が小さな芽 ↓↓↓ 努力すれば作物は必ず報いてくれる 滅私奉公から晴耕雨読 早期退職制度があったから 最初のダイコン『うまい』 「農業計画」と題したノートには栽培のコツがびっしり書き込まれている ↓↓↓ |
東京新聞・こちら特捜部(1999年7月11日) 脱サラ農園(藤田ファーム便り) 実を結んだ決断「最初の客はモグラ」 3ヵ月半・・・初出荷で即日完売も ↓↓↓ 肩書のない今、生きる力 問われる ↓↓↓ |
東京新聞・こちら特捜部(1999年11月7日) 脱サラ農園(藤田ファーム便り) できたぞ ビニールハウス 投資100万円 収入5万円 手間かかるし教科書通りにいかない いい土も作っています ↓↓↓ 農業人の誇り 熟す ”名アドバイザー” 現る 根下ろし半年 秋がきた 離乳食に使います |
東京新聞・こちら特捜部(1999年12月29日) ニンジン、来年こそ! ↓↓↓ |