丹野画伯の奥様、英子さんは
43歳の時、乳がんを患われ
丹野画伯はその看病のため、会社を辞められました。
「これからは、いつも一緒にいられるね」と、
奥様はとても喜んでくれたのに、7年に渡る闘病の末、
奥様は丹野の作品を見ずしてこの世を去ってしまわれた・・・
それから、
61歳でパソコンを初めて習い始め、
65歳でワード絵画を始め、
現在72歳で成田近辺各地で展示会開催、
近所の人達に教えておられます。
遠くは九州から成田空港の展示会まで見に来られ、
また、海外からの留学生さんまでもが弟子入り!
「家内も生きていたら一緒にできたかなと」
妻に絵を見せられなかったのが、
とても心残りだと言われています・・・
丹野画伯の思い:
「お父さん、これは邪道だョ!?」
丹野画伯が娘さんに初めて「ワード絵画」を披露した時の第一声だそうです。
娘さんからすれば、絵画というものは「油絵や水彩画」が正当であり、
このワード絵画なるものはいかにお父さんの力作であっても「邪道」と見えたのでしょう・・・
でも、丹野画伯はこう思われました。
「人間の喜怒哀楽の感情・美しいものを見た時の感動を表現できる手段として、
なにも油絵や水彩画など「絵筆」によるものだけではなく、手段は違っても
まだ世に知られていないパソコンのワード機能を使って
「より気軽に、より手軽に」自分の感動を自分の手で表現し、
自分の作品・自分の歴史を世に残すものがあってもいいのではないか・・・・?」
こうして、65歳にてワード絵画を書き始めてから、
現在で7年間、いろんな景観を描かれ、
またたくさんの生徒さんにワード絵画を教えておられます。
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・61歳:パソコンを習い始める
・65歳:ワード機能で絵画の作成開始、1年間で27景観を描く!
・66歳:近所の人にワード絵画を教え始める。
教えるための教材「ワード機能のみでパソコン絵画」を執筆発行
67歳:個展にて展示開始、マスコミにても掲載され始める
以後、成田空港他各所にて展示会開催
67歳、マスコミが報道を始めました
H25平成25年現在、最新のマスコミでは
「日本テレビ スッキリ」にて取り上げられ
「テリー伊藤」もビックリ、評判になりました。
平成26年1月24日(金)23:30 日本テレビ「未来シアター」にて
丹野画伯が「革新者」の一人として紹介されました。
この絵画は、テレビで紹介された画像
奥様との思い出の公園「赤坂公園」です。
若くして亡くなられた奥様・英子様の画像です。
私ども「世界デジタルアート絵画協会」のメンバーは、
この日本テレビのスッキリを見て
「ワード」でこんなに素晴らしい絵が描けるんだと感動し、
是非この丹野画伯の「ワード絵画」を日本中、
いや世界中に広めたいと思った仲間達です。
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